雨の名勝負~サッカー編②「2001年 コンフェデレーションズカップ準決勝 オーストラリアvs.日本」

2017/07/28

雨の日におこなわれたサッカーの名勝負や思い出深い試合をピックアップしてお届けする「雨の名勝負~サッカー編」。
第二回は、2001年におこなわれたコンフェデレーションズカップ準決勝、オーストラリア代表と日本代表の一戦をお届けしよう。

 

日本代表躍進の幕開け「2001年コンフェデレーションズカップ」

翌年2002年に控えた日韓共同開催のW杯に向けた前哨戦として迎えたこのコンフェデレーションズカップで、フィリップ・トルシエが率いる日本代表は躍進を遂げ、フランス代表との決勝戦は0-1で敗れはしたものの、翌年の本大会に向けて日本国民に大きな期待を持たせてくれた。

そのコンフェデレーションズカップで、今でもサッカーファンに語り継がれる名勝負は、決勝戦のフランス戦ではなく、ブラジル、カナダ、カメルーンと同組となった予選グループを2勝1分の首位で突破し迎えた準決勝のオーストラリア戦だ。

当時の日本代表の中心は、フランチェスコ・トッティやガブリエル・バティストゥータ、ヴィンチェンツォ・モンテッラら強力な攻撃陣を抱えるイタリアの名門ASローマの主力の一人として活躍していた中田英寿。

そのASローマにて、18年ぶりのリーグ優勝を目前に控えていた中田は、シーズン終盤に差し掛かったタイミングで開催されたため「予選リーグ3試合のみ出場し、イタリアに戻る」という約束のもと日本代表としてコンフェデレーションズカップに出場していた。

しかし、日本代表が予選リーグを首位突破したため、中田は準決勝まで残ることを決意し迎えたこのオーストラリア戦で、「雨の名勝負」に決着をつけるシュートをゴールネットに突き刺した。

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ヒデかシンジか。降りしきる雨の中、ゴールを決めたのは中田英寿

関東甲信越地方に梅雨が到来したばかりの2001年6月7日。
48,699人のサポーターが集った横浜国際総合競技場の上空からは、強めの雨が止めどなく降り注いでいた。

白いユニフォームを着用した日本代表のスターティングイレブンは、GKは川口能活。DFに松田直樹、森岡隆三、中田浩二の3人。中盤は小野伸二、稲本潤一、戸田和幸、波戸康広の4人とキャプテンマークを巻く中田英寿。そしてFWは西澤明訓と鈴木隆行のツートップ。

試合開始のホイッスルが鳴ってからも雨は降り止むことはなく、視界の確保すら難しいほどの雨で濡れたピッチ上では一進一退の攻防が繰り広げられていた。

ハーフタイム突入間際の前半40分にオーストラリアのエースストライカー、スタン・ラザリディスのヘディングシュートがゴールポストをかすめて僅かに外れて救われた日本。そしてその直後の43分。日本は大きなチャンスを迎える。

左センターバックの中田浩二から送られたロングボールをトニー・ポポヴィッチと競り合った鈴木隆行がファールを受け、ゴール正面、ペナルティアーク手前の位置で直接フリーキックを獲得。

壁は5枚。GKは名手マーク・シュウォーツァー。
セットされたボールの後ろに立つのは、膝に手を置いた小野伸二と右足でボールを踏みつけてゴール方向を睨みつける中田英寿の二人。

どちらが蹴るのか、まったく分からない。

同大会の予選リーグのカナダ戦で、同じような位置から鮮やかなフリーキックでゴールネットを揺らした小野伸二か。
それともこの試合を最後にイタリアに戻るキャプテン中田英寿か。

当時テレビでライブ観戦した私は「ヒデが蹴る。ヒデに蹴って欲しい。ヒデに決めて欲しい」と願っていた。

そして、テレビの実況が「ヒデかシンジか。シンジかヒデか」とつぶやいた数秒後に放たれたシュートは、5人の壁の間を突き抜ける低くて、速い、そして強いシュートだった。壁を抜けたボールは、雨で濡れた芝生を少しかすめ、ゴールライン上にいた相手DFの右足に当たりながらも、そのままゴールへと吸い込まれていった。

蹴ったのは、中田英寿だった。

ゴールを確認した中田は、両拳を上げて小さなガッツポーズをしていた。その間、わずか1秒未満。
滅多にしないポーズを自然としてしまった中田はすぐにポーズを解き、仲間たちの荒い祝福に照れくさそうな笑顔で応えていた。

ゴールの喜びによるガッツポーズと笑顔、そして雨の試合だからこそ生まれた強烈なゴールが生まれたこの一瞬そのものが、サッカーファンの間で永遠に語り継がれる「雨の名勝負」となったのだ。

 

Writer   イノネル・ヒデッシ
画像提供:AFLO

 

 

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